2022.10.3
総研
【インタビュー前編】訪問看護におけるウェルビーイング。幸福学の第一人者、前野隆司先生から幸せに働き、生きるためのヒントを得る
訪問看護や在宅医療に携わるみなさんにとって、『仕事』とはどんなものでしょうか。生きていくために必要なもの、つらく苦しいもの、わくわくする楽しいものなど、人それぞれ考えや価値観があると思います。そこで近年、働き方や生き方を考えるときのキーワードとなっているのが、ウェルビーイング(Well-being)という考え方。今回は、幸福学研究の第一人者である慶応義塾大学の前野隆司先生をお招きし、ソフィアメディのウェルビーイング推進グループのマネジャーである看護師の宮地がインタビューを行いました。幸せに働き、生きるためのヒントを得ていきましょう。前後編でお送りします。
プロフィール
前野隆司氏
1962年山口県生まれ。1984年東京工業大学工学部機械工学科卒業、86年東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、慶應義塾大学理工学部教授、ハーバード大学客員教授等を経て、2008年より慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授。2017年より慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼任。学問分野の枠を超え、「人間にかかわるシステムであれば何でも対象にする」「人類にとって必要なものを創造的にデザインする」という方針で研究・教育を行っている。
宮地麻美
1972年群馬県生まれ。看護師歴21年。元々カウンセラーを目指して心理学を勉強していたが、精神医学や発達心理学に興味を持ち、障害児心理学を専攻。精神薄弱児施設で4年働いた後、医療知識を求めて看護師の道へ。ナショナルセンターで15年勤務しつつ、看護教員資格取得し、大学院へ進学。専攻した遷延性意識障害看護を学ぶ中で、口腔ケアの重要性を感じて摂食嚥下障害看護認定看護師となり、急性期での看護を実践。回復期リハビリテーション病院に異動し、多くの摂食嚥下障害をもつ患者さまのその人らしさを大切しながら在宅へ移行する過程を看させていただき、ソフィアメディへ転職。訪問看護ステーション管理者として3年間従事し、2022年2月より新設されたウェルビーイング推進グループのマネジャーを担当。
幸せとは、ウェルビーイング
宮地>私は前野先生の著書、特に『幸せな職場の経営学』『幸福学×経営学 次世代日本型組織が世界を変える』を拝読して、「ソフィアメディで働く人がもっと幸せに働くことができるように」という想いでウェルビーイングの推進グループを立ち上げました。ウェルビーイングのなかでも、特にワークライフインテグレーションという考え方について、前野先生がどのような思いで提案されてきたのか、お話を伺いたいです。
前野氏>まず幸福学における”幸せ”とはなにか。一般的に幸せは「happiness」と英訳されますが、短期的で「楽しい」「嬉しい」といった感情の意味合いが強いものではなく、心理学などの分野で使われていた「Well-being」に近いものと考えています。身体的、精神的、社会的に良好で満たされ、健やかな状態の持続であるという意味の概念で、一般社会にも広がりつつあるように思います。経営も社員の幸せを考えることが大事であると、考えられています。ただ、どういった状態が”幸せ”と言えるのか。幸せの心的特性の全体像を明らかにするため、我々はアンケート結果を因子分析したものを以下のようにまとめました。
※人が幸せになるために必要な「4つの因子」
・「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
・「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)
・「なんとかなる!」因子(前向きと楽観の因子)
・「ありのままに!」因子(独立と自分らしさの因子)
また、他にもポジティブ心理学の創始者であるマーティン・セリグマンが提唱した幸福の5つの要素『パーマ(PERMA)』というモデルもあります。
・Positive(ポジティブ感情)
・Engagement(エンゲージメント)
・Relationship(関係性)
・Meaning(意味・意義)
・Accomplishment(達成)
人の幸せはさまざまな姿があっても、幸せになるための基本のメカニズムは存在するということです。
『ワークライフインテグレーション』というのは、仕事とプライベートを統合するという考え方です。元々日本では、仕事は苦しくつらいもので、お金のためにやるもんだという固定観念が強かったように思います。仕事と家庭生活は別だと分けて考える人も多いでしょう。ただし、仕事中も幸せな状態で働いている人は、欠勤率や離職率が低く、ミスも少ない、生産性も創造性も高く、健康長寿であることが近年わかってきています。となると、プライベートを充実させると考えるよりも、仕事自体を幸せにするほうがいいと科学的にも言えるのです。(ソーニャ・リュボミルスキー、ローラ・キング、およびエド・ディーナーが、225件の学術研究について詳細なメタ分析を試みたところ、幸福感の高い社員の生産性は平均で31%、売上は37%、創造性は3倍高いという結果になった。 引用:ハーバードビジネスレビュー 幸福の戦略)最近では仕事と生活を分ける必要もなくなってきて、生活の中でメールチェックをする、旅先で働くワーケーションのような考えも増えてきているわけですね。ただ、そうはいってもそれがまだできていない人にとっては、ワークライフインテグレーションという考え方に違和感がある人も多いという現状があります。こうした幸福学やウェルビーイングの考えをわかりやすく一般社会に伝えていくことが、私の使命であると思っています。
看護師や医療従事者の働き方、考え方の特徴を知る
宮地>私は訪問看護の看護師ですが、看護師が働く職場は労働集約型が多いです。お客様のところに行って看護ケアを提供する、それでお金をいただいています。また、看護師の中にも、例えば生活習慣に関してお客様を変えなきゃいけないと思う正義がどこかにあったり、さらに患者様やお客様に対して極端に愛護的になったり…。私たちが頑張ればいいと、一生懸命相手本位に動くことで自己抑制したり自己犠牲になったりしやすい特徴があるかもしれません。そうした日々葛藤を抱えている看護師や医療従事者も少なくないと思います。
前野氏>私も教員をしているので、学生に教えたり、手助けしたりしたくなることがあります。「これをやりなさい」と言うのは簡単です。だけど、一番大事なことは言わず、「どうやったらいいのか」を自分で考えて、「あ、こうやればいいんだ」と気付いた学生はどんどん伸びていきます。看護師さんも知識があるから、いろいろ言いたい、手を出したい気持ちがあるんでしょうね。最近は「先生は何も教えてくれない」と言われることもありますが、私としては「いいことに気付いたね」と学生が気付いたように仕向けるようにしています。看護師さんもカウンセリングでの傾聴や人を動かす、コントロールしないという技は習うのではないでしょうか。
宮地>看護師の教育課程のなかでも人間関係論やコミュニケーション技術、精神看護などを習っていますが、おざなりにされやすい部分かもしれません。看護師としての医療的な知識や技術に目が行きがちなので……。
前野氏>教員も一緒ですね。教員も知識をつけて、それを「伝える」というスキルアップが注目されがちですが、本来であれば「答えを教えない」、相手の話を「聞く」などの技が重要なのに、それがおざなりになっていることも多いです。やっぱり知識のある職業になると、 それを伝えたくなる。でも、伝えるだけでは「人は動かない」という矛盾は看護師さんも一緒なんですね。こうした職業的な特性があることは、まず理解しておいたほうがいいでしょう。
ウェルビーイング、ワークライフインテグレーションで大事なこと
宮地>ウェルビーイングの考えを訪問看護や在宅医療の現場にも取り入れたいと考えたときに、どんなことがポイントとなるでしょうか。
前野氏>まずは、人が幸せになるために必要な「4つの因子」にもある通り、人は繋がりとやりがいがあると幸せを感じることがわかっています。訪問看護は人と触れ合う、人と繋がりがある仕事ですよね。それをやりがいのあることだと感じれば幸せだし、過酷でつらいことだと思うと不幸せにもなりかねません。業務として看護の仕事をするだけではなく、患者さんの気持ちになって、会話を通して繋がり、そこでエンカレッジ(勇気づける、励ます)し合ったり、承認や尊敬、感謝し合ったりなど、何かしら関係性を築くことが大事だと思います。
そして、なにより自分を大事にすることです。看護師さんのような対人援助職で、自己犠牲や共依存になりやすい方は特にです。患者様に対してのサービスをしっかりと提供すること、親切にすることはもちろん大事ですが、それと同じように「自分も大事なんだよ」と自分自身を客観的に認知する。メタ認知ですね。自分に対して「頑張ってるね」とちゃんと言ってあげることが大事です。
宮地>自分に対しても人からでも「頑張ってるね」と言われたら、自己肯定感が低くなりがちな看護師はみんな泣くと思います。客観的に自分のことを見つめるって大事なことですね。
前野氏>そうですね。”泣く”経験をしてみるといいですよ。泣くということは、自分を大切にしていないことでできてしまった傷、いわば反省や後悔などに揺さぶられているのだと思います。だけど、泣くことは悲しさだけではなく、嬉しさや感謝の気持ちなどもありますよね。癒しです。自分って大事なんだな、大切にしてあげようと、泣くことで感じられると思います。1日1回自分のことを大事に思う、いわゆるセルフコンパッションが自然にできるようになってくると、自己犠牲的な思考は自然と少なくなっていくと思います。
また、自分を大事にする行動としては”自分のことを話す”ことも大切です。自己開示です。仕事や目の前のことだけを話すのでなく、できれば自分の感情も含めて話すといいですね。今イライラしているとか、残念な気持ちになっているとか、そうした感情を出すことが大事です。「今、つらいんです」と言われて、「つらいのはダメだ、それは違う」と、人の感情を否定することは誰にもできませんから。聞く相手も自分に心を開いてくれたと感じたり、感情が含まれることで相手の伝えたいことをより正しく解釈できたり……だから、深くて良い会話になるんですよね。
宮地>自分をちゃんと認め、大事にすることって実は一番難しいと感じます。一年前までは、私も仕事でよく泣いていました。だけど、前野先生の本を読ませていただいて、「自分を大事にしていいんだ」「ありのままの自分でいいんだ」と認識できたときに、例え頑張っていない自分がいても、評価されていない自分がいてもOKなんだと、だんだんと考えが変わったように思います。
自分のことを話すというと、最近は職場で1on1が活発に行われる機会も増えてきましたよね。前野先生は著書『幸福学×経営学 次世代日本型組織が世界を変える』で「1on1で問いに戻せ」と書かれていましたが、あれはどういうことなんでしょうか。
前野氏>1on1は少し間違った手法が広まっているところもあります。「仕事ちゃんとやった?」のように目の前の問いや業務連絡になりがちなんです。本来はカウンセリングやコーチングの手法を用いて、自分のことも話して、相手の話も聞いて関係性を築く『対話』のためのものなんです。だけど、今流行っている1on1はティーチング、業務連絡的なこともしてもいいですよと広域的な意味合いで使われることが多く、コーチングとティーチングが混同している部分はありますよね。私がおすすめするのは、カウンセリングやコーチングの手法を用いた1on1です。業務連絡は1on1とは別に考えたほうがいいんじゃないかなと思います。訪問看護の場合には、相手が部下だけではなく、お客様やご家族になることもあるでしょう。相手の話を傾聴して、考えを尊重する。対話に徹するべきだと思います。対話に徹していくと、目の前の細かい問いにはならなくて、「仕事の面白さややりがいってなんだろう」「感謝ってなんだろう」のように、自分や相手の置かれている立場を理解した、より広い視点の問いになるんです。そういった問いに立ち戻らないということは、ティーチングや業務連絡のようになっているのかもしれないですね。
あとは、一般社会では1on1が流行っていますけど、個人的には3〜4人でやってみるのもいいと思います。1on1だと上司と部下、指導者と学生のように業務連絡や指導の場になりがちなので。少人数だとたとえ業務連絡になったとしても、「ところで○○について話をしませんか」と軌道修正できる人がいて、間違った1on1になりにくいです。しかも、相手を責めずに、優しく、どう考えているのかと相手と向き合って聞ける。私は最近、3〜4人のミーティングも取り入れています。
宮地>確かに。1on1は自分の中でも業務連絡になりがちだったと思います。自分のことを話す、しっかり聞くという対話であることを考えると、ときには2人だけじゃもったいないですもんね。
前野氏>もったいないですよ。3、4人いることの相乗効果でより豊かな対話の場になるので、おすすめです。 勝手に1on3と名付けて呼んでいるんですけど、なかなか流行らないんですよね(笑)。日本にはこっちのほうが合っているかもしれないです。
ーー後編へつづく